オセアニア

ウルル/エアーズ・ロック―畏敬の念を起こさせ、信仰をめざめさせるもの(オーストラリア)

2013年07月22日

1985年、ウルル(当時エアーズ・ロックと呼ばれていた)はオーストラリア政府によってアナングの人々に返還された。アナングは、ようやくウルル・カタ・ジュタ国立公園の伝統的所有者と認定され、この巨大な砂岩の岩に対する彼らの伝統的な名称のウルルは、以前の名称であるエアーズ・ロックにとって代わることになった。近年は、名前を二重にして呼ばれている。この岩とそれを取り巻く地域は、驚くほど美しく、特殊な場所として存在している。そこから見られる景色は、平らな赤い大地の360度のパノラマであり、ウルルそのものと遠くのカタ・ジュタ(オルガ岩群)以外にはさえぎるものは何もない。空はこの平らな赤い風景を日中青いドームで覆う。夜には星をちりばめた奇跡となる。

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夕日に染まるウルル

現存する19世紀唯一の万国博覧会会場(オーストラリア)

2012年07月23日

王立展示場(Royal Exhibition Building)は、19世紀に開催された万国博覧会の会場としては、世界で唯一現存する建造物である。万国博覧会は1851年に初めて開かれた。このときロンドンのハイドパークに会場となった「水晶宮」が姿を現したが、期間が終わると移設されて、後に火災で焼失した。ロンドン万博後、ニューヨーク、パリ、ウィーン、フィラデルフィアなど各地で開催され、オーストラリアでも1879年のシドニーと1880年のメルボルンで連続して万博が開かれた。王立展示場は、メルボルン万博の会場であった。
ここでオーストラリアの歴史を紹介すると、ヨーロッパからの移住が始まるのは、1770年に発見された東海岸が「ニューサウスウェールズ」と命名されてからである。1786年に同地はイギリスの流刑植民地となった。1830年以降は自由移民も増え、さらにイギリス国内で監獄改革が進展したこともあって、1840年にニューサウスウェールズへの流刑制度は廃止された。

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王立展示館