世界遺産ブログ

歴史文化学科ではブックレット『世界遺産―歴史と文化の学び方』を作成しました。
ぜひご覧ください。
郵送をご希望の方はnyushi@keisen.ac.jpにお問い合わせください。

 

世界の様々な地域の歴史・文化を専門とする教員が集う文化学科が、貴方を世界遺産の旅へご案内します。

恵泉ディクショナリー

ヴェネツィアとその潟(イタリア共和国)

2011年08月02日

今なお人々が日常的な暮らしを営む町のなかで、ヴェネツィアほど特異な場所はない。100を超える小島から成り立つ都市内部には大小の運河が張り巡らされている。自動車の運行は禁止され、徒歩でなければ移動はもっぱら船による。黒塗りのゴンドラに乗るのは観光客で、実用目的には水上タクシーの役割を果たす小型モーターボートや、バポレットと呼ばれる乗り合い船舶が用いられる。郵便配達、救急救助などに用いられるのもモーターボートである。

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ファウンテンズ修道院とスタッドリー・ロイヤル庭園(イギリス)

2011年05月31日

北イングランドの古都ヨークから西北に約30kmの緑豊かな田園地帯にファウンテンズ修道院とスタッドリー・ロイヤル庭園はあります。浅い谷を流れるスケル川という小さな川に沿って修道院と庭園は造られています。2つの施設は隣接していて、今は323ヘクタールの広さのひとつの庭園に含まれています。ファウンテンズ修道院はイギリス最大の修道院遺跡として、またスタッドリー・ロイヤル庭園はイギリスでは稀な水の庭園として重要な意味を持っており、1986年にイギリスの歴史的施設としてユネスコの世界遺産に登録されました。英語ではFountains Abbey and Studley Royal Water Gardenと書きます。この修道院を含む庭園は、現在はイギリス・ナショナルトラストの所有となっており、年間30万人を超える来訪者があり、トラストが所有する全施設の中で最も訪れる人が多い人気の庭園です。

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ファウンテンズ修道院

ブレナム・パレス(イギリス)

2011年05月25日

パレス(宮殿)という名であるが王宮ではなく、モールバラ公爵家が代々暮らしてきたイギリス貴族の館(「カントリ・ハウス」)である。オックスフォードの近郊ウッドストックに位置する。壮麗な建造物を広大な庭園が囲むのは、カントリ・ハウスならではの姿である。著名な造園家ランスロット・ブラウンが、1760年代に大改造を加えて今の庭園の姿になった。改造によって川がせき止められて湖となったといわれるが、川を遡ってみると滝が落ちていたりする。ブラウンの仕事は「あまりにも見事に自然を真似たものだから、彼のしたことは自然そのものと思われてしまうだろう」と評されたそうだが、まさにそうした風景式庭園の典型と言える。

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マチュ・ピチュ:天空へとつながる世界軸(ペルー共和国)

2011年05月25日

マチュ・ピチュ:天空へとつながる世界軸(ペルー共和国、複合遺産/1983年登録)

1911年7月24日、その日、若きアメリカ人考古学者ハイラム・ビンガムは、16世紀にこの地を征服したスペイン人たちの間でインカ帝国の金銀財宝が眠る「幻の都」として語り継がれてきた「ビルカバンバ」(「黄金のゆりかご」)の伝説に導かれ、ウルバンバ川下流の傾斜の激しい山道を、草木をかき分けながらよじ登っていた。登りつめた頂上で、彼はついに鬱蒼と茂った樹木に覆われた壮大な廃墟に遭遇する。インカ帝国の滅亡からおよそ400年、黄金を求めたスペイン人の執拗な探索にもついに発見されることのなかった壮麗な都市―のちにマチュ・ピチュと呼ばれることになる―が長い眠りから目覚めた瞬間であった。それは、標高2700mのワイナ・ピチュ(「若い峰」)と、アマゾンに向かうウルバンバ川が流れ込む深い渓谷の岸に鋭くそそり立つ標高3050mのマチュ・ピチュ峰(「老いた峰」)との隙間の鞍部に、まさに空中に浮かんでいるかのように築かれた総面積約5㎢にわたる石造りの荘大な計画都市である。ビンガムがビルカバンバと確信したマチュ・ピチュは、残念ながら、後の調査により、その建設時期がスペイン人到来以前のインカ帝国第9代皇帝パチャクティ時代(1440年頃)であることが判明し、結局、ビルカバンバの所在は再び霧の中へと消えてしまった。

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自由の女神像(アメリカ合衆国)

2011年05月24日

自由の女神像 The Statue of Liberty(自由の像) 1984年世界遺産登録

アメリカの独立を支援したフランスが友好と、共和主義安定の見本として計画、贈呈した。彫刻家の名はフレデリック・バルトルディ。鉄骨構造はエッフェル塔制作のギュスターヴ・エッフル。左手に持つのは、アメリカの独立宣言である。独立100年を祝う、1876年に完成を見るはずが、松明を持った手の部分しか出来上がらず、台座をつくるアメリカ側の作業も滞り、音頭を取って仕上げたのは、民間の力。中心となって寄付を募ったのは、新聞王、ジョゼフ・ピューリッツアーである。完成は1886年。

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