グリニッジ~世界時間の基準点~(イギリス)

2013年04月02日

「グリニッジ」と言えば、「天文台」「標準時」と続くのが、大方の連想であろう。実際には、世界遺産マリタイム・グリニッジ(Maritime Greenwich)は天文台、王立海軍大学、クィーンズ・ハウスなどで構成されている。これらの建造物はいずれもイングランド・スチュアート朝時代に建設された。イングランド・スチュアート朝は17世紀初めにチューダー朝を継いだ王朝である。チューダー朝最後の女王エリザベス1世が世継ぎを儲けることなく崩御したため、北方スコットランドの王家がイングランド王国を受け継いだのが、その始まりである。スチュアート朝が続いた1603年から1714年まで百年余りの間に「ピューリタン革命」と「名誉革命」の二つの革命が起こり、王家としては災難続きであった。その一方で、イングランドは、この1世紀で科学を大いに発達させ、海洋国家の礎を築いていった。

グリニッジはテムズ川下流に位置しており、15世紀から宮殿があったため王室ゆかりの地であった。1603年、ジェイムズ1世がスチュアート朝最初の国王となったとき、ここに王妃アンのためのクィーンズ・ハウスが建てられた。設計はイニゴー・ジョーンズ(1573-1652)であった。ジョーンズは17世紀前半を代表するイングランドの建築家であり、彼の手になるホワイトホール宮殿のバンケティング・ハウスやコヴェント・ガーデンは有名である。その後、ジェイムズ1世の跡を継いだチャールズ1世が革命で斬首されたが、1660年には王政復古となり、チャールズ2世が王位に就いた。「陽気な国王」とあだ名されたチャールズ2世の時代は、自然科学が発達した時代でもあった。グリニッジ天文台設置は1675年のことであったが、その5年前に、現存する世界最古の科学協会である「王立学会」(ロイヤル・ソサエティ)が発足している。
グリニッジ天文台は、セントポール寺院で知られる数学者・天文学者クリストファー・レン(1632-1723)の設計であった。天文台設置の目的には経度の正確な測定があった。当時、航海中に船舶の緯度を知るのは比較的容易であったが、経度の確定は困難だったのである。なお、グリニッジが「経度ゼロ」地点とされるのは、1884年にアメリカのワシントンで開かれた国際天文学会議の決定による。グリニッジ天文台は1990年にケンブリッジに移転するまで観測を続けたが、歴代の天文台長では、ジョン・フラムスティードを継いで第2代台長となったエドモンド・ハレーが、ハレー彗星を発見したことでよく知られている。
チャールズ2世を継いだのはジェームズ2世であったが、そのカトリック信仰が災いして名誉革命が起こり、国外へと追放されてしまう。グリニッジに王立海軍病院が建設されたのは、追放された父王ジェイムズに取って代わった女王メアリ2世の命による。これまたクリストファー・レンの設計であった。王立海軍病院は、負傷あるいは退役した元海軍兵たちのための福祉施設であり、外装内装ともに豪華で、礼拝堂まで備えていた。この頃にはスチュアート朝も終わりに近づいていたのだが、イングランドはすでに海洋大国へと成長しつつあった。なお、王立海軍病院は1869年に役割を終えて、その後1998年まで王立海軍大学として用いられた。

高濱 俊幸(イギリス史、ヨーロッパ政治思想)

グリニッジ天文台

クィーンズ・ハウス