自由の女神像(アメリカ合衆国)

2011年05月24日

自由の女神像 The Statue of Liberty(自由の像) 1984年世界遺産登録

アメリカの独立を支援したフランスが友好と、共和主義安定の見本として計画、贈呈した。彫刻家の名はフレデリック・バルトルディ。鉄骨構造はエッフェル塔制作のギュスターヴ・エッフル。左手に持つのは、アメリカの独立宣言である。独立100年を祝う、1876年に完成を見るはずが、松明を持った手の部分しか出来上がらず、台座をつくるアメリカ側の作業も滞り、音頭を取って仕上げたのは、民間の力。中心となって寄付を募ったのは、新聞王、ジョゼフ・ピューリッツアーである。完成は1886年。

台座には、エマ・ラザラスが、『故郷喪失の母』とこの像を詠んだ詩が刻まれた。ドイツ系ユダヤ人だった彼女が、19世紀末のロシアにおけるユダヤ人迫害から、難民を受け入れるアメリカの歓迎の光として象徴させたのである。しかし、当時のアメリカは、移民歓迎とは程遠く、むしろ、入国を制限する審査場をこの像の隣、エリス島、に作ったほどであった。決定的だったのは、灯台として設置され管理されていたことから、港の外を向いていたことだった。ニューヨークに入港した移民たちが自分たちの救済の招きとして心に刻み始めたのである。永井荷風でさえ、この像の感動を次のように書いた。
「自分はいままで、このような威儀犯すべからざる銅像を見たことが無い。覚えず知らず身をその足元に拝伏したいような気がするのである。・・・この銅像は新大陸の代表者、新思想の説明者であると同時に、金城鉄壁の要塞よりもさらに強固な米国精神の保護者である。」(『あめりか物語』1905年)
実際にこの像がアメリカの象徴となるのは、50周年記念の1936年ごろからである。ナチスドイツと対抗するためにも、また国内の移民の子孫の影響力に応えるためにも、アメリカの政治理念としての広範な運動に利用されていくのである。1940年に航空便の切手に登場するのも良い例だろう。そして、ジョンソン大統領によるキューバ難民の受け入れの署名もこの像の下で行われた。2001年の同時多発テロ以降はニューヨーク、アメリカを代表する神聖度が増し、かつての世俗的な『自由の像』は、まさに「神」として君臨し、統一のシンボルとして担ぎ出されている。公的遺産、「世界」遺産とはなにかを考えるきっかけにもなろう。

杉山恵子(アメリカ社会史)

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