
2009年10月 恵泉だよりvol.5
「ゆとり教育」世代といかに向き合うか
教育現場が揺れている。詰め込み教育の弊害を避けるためという名目を掲げて、文科省は1989年に学習指導要領を改正。以後、学習内容、授業時間数の削減、完全週5日制、「総合的な学習の時間」の新設など、多くの教育改革が実現してきた。ところが、そうしたいわゆる「ゆとり教育」が今度は学力低下の元凶とみなされ、見直しが進んでいる。こうした一連の動きについて教育の現場はどのように感じているのか。『恵泉だより』第5号では、都立永山高校・上野校長に話を聞いてみた。
<ゆとり>を<ゆるみ>と取り違えていなかったか

都立永山高校
上野勝敏 校長先生
「私が前にいた高校では、たとえば総合学習の時間は子どもたちに必要なものだという認識でいました。時間をかけて、子どもたちをしっかりと地に足をつけて育ててゆくゆとり教育の理念には価値がある、と私自身も思っていました」。
このようにゆとり教育を評価する上野勝敏校長は、しかし同時に、そこに諸手を挙げて肯定しかねる側面もあったことを認める。「ゆとり教育世代」の生徒は以前の高校生と比べて明らかに幼く、高校生らしからぬ言動が目についた。「先生も生徒も<ゆとり>を<ゆるみ>と勘違いしていた面もあったのではないか」と上野校長は言う。
永山高校ではこうした弊害の是正を教育上の重点目標とした。対応の一例として、上野校長が着任した今年の4月から、髪を染める生徒への指導を徹底させている。そう書くと旧制中学以来の自由な校風を受け継いできた都立高らしくない、と感じられるかもしれない。しかし、そこには時代の要請に応える高校教育の姿がある。「自由は大事、個性の表現もとても大事です。ですが、それが単なる表層的な題目になってはいないか。社会で生きているのは自分だけではない。ならばこそ、他人と共に生きる総合的なバランスの中で自分を生かしてゆかなければならない。たとえば髪を染めることで、世間で自分がどれほど損をするか、そんな現実について丁寧に教えてゆきます」。
まずは担任の先生が、次いで生徒部の教員が、そして保護者も交えて副校長が面接に当たるという三段階の指導で、約700人の全校生徒中291名もいた茶髪の生徒が、三ヶ月でゼロになった。こうした全校挙げての対応を通じて上野校長が驚いたのは、それまで茶髪についてまともに大人と語りあった経験のない生徒がとても多かったこと。それほどコミュニーケーションが浅くなっているのだ。
他者と生きるためのコミュニケーションの力を
現代とはいわば「手紙のない」時代だ。電子メールが飛び交い、その場で即座に返答が強いられる。結果として静かに他人を思いやり、相手との関係の取り方をじっくり考え、工夫することができない。そんな状況を踏まえて永山高校では、茶髪指導を、他者と共に生きる重要さを生徒に気づかせるきっかけにした。とはいえ他者を配慮する心を育み、コミュニケ-ション能力を築いてゆく作業は、一朝一夕には成らない。ゆとり教育の見直しが、単にそれ以前の詰め込み教育に戻ることであっては意味がない。「ゆるみ」の弊害を是正しつつ、一方で生徒が人間的に成長してゆくために必要な教育にじっくり腰を据えて取り組む。そうした作業は高校だけで完結するものでもないだろう。そこから新しい高大連携のあり
方も見えてくるのではないか。

日本語日本文化学科准教授
山田昌裕
5年前に2学部制を敷いた時に恵泉女学園大学で採用された新カリキュラム群、その中の「目玉」のひとつが「日本語能力」の授業だった。留学生に日本語を教えることなら以前からあった。だが、恵泉では日本で育った「正真正銘」の日本人学生に向けても日本語を教える。コース責任者である日本語日本文化学科准教授の山田昌裕は、授業の設置理由をこう説明する。「大学での勉強が思うように進められない。その原因は授業内容が理解できないからではなく、実はそれ以前に日本語力が乏しく、授業自体に入ってゆけていないから。そこで、これから大学で学んでゆくために必要な日本語能力を身につけてもらう授業が必要だと考えました」。
落ちこぼれは日本語力の不足
日本人学生にも日本語能力の授業を
もちろん日本で生活し、高校まで学んできたのだから、日常会話に不自由するわけではない。しかし、問題なく日本語が駆使できているように見えて、実は言葉に示された論理を汲み取ることが不得手だったり、少し複雑な内容になると自分で表現できなかったりする。そこで、入学して最初の学期に開講される「日本語能力 I」の授業では、いわゆる「レポート」の書き方を学ばせつつ、論理的な表現に触れさせ、自分からも発信できるように導いてゆく。問題発見のコツ、資料の調べ方、ワープロを使ったレポート作成法など、大学での学びに必要な技術も総合的に教える。授業は
通常時間の倍の週2コマ、クラスはそれぞれ20~25名なので、教員の眼が十分に届く。課題レポートを提出させ、一人ずつ添削して返却する丁寧な指導を、日本語能力の授業では心がける。興味深
いのは、外国語の習得にもこうした日本語能力の見直しが役に立つことだ。最近の第二言語習得理論では、就学年齢に至って外国語を学ぶ場合、母語の力の上に外国語の習得が積み重ねられると考える。つまり日本語能力の再構築は、外国語習得にも効果的なのである。英語力を生かして就職してゆく学生の多い「英語コミュニケーション学科」でも、来年度から「日本語能力 I」が必修科目となったのもこのため。こうして恵泉女学園大学では、一年生全員が「日本語能力 I」を修めることとなった。
そして後期になると、「日本語能力 II」の授業が続く。こちらは「日本語日本文化学科」のみ必修科目となるが、川柳をクラスの中で競作してみるなどゲーム感覚を取り入れて、楽しみながら自分たちの使う日本語について改めて関心を持たせる。ちなみに、恵泉女学園大学の春の学園祭で毎年開催されている「ケータイ川柳コンテスト」は、この川柳創作の授業の公開版という位置づけだ。他にも頭文字に特定の言葉を織り込む「折句」の手法を用いて短歌を創作するなど、様々な課題に学生は挑戦する。そんな学生の作品を集めた文集『日本語の森へ』からひとつ紹介するなら、「溢れくる、愛しい気持ち、知りながら、あなたの気持ち、疑う私」。いかにも女子大生らしく恋愛を切なく歌うが、頭文字を拾うと「あいしあう」になっており、推敲を何度も重ねただろう様子がうかがえる。決められた条件の中で言葉を探すことで、語彙は確実に増え、表現に工夫をこらす面白さも実体験できる。
コミュニケーションの力を高大連携で
時間をかけて育ててゆく
こうした日本語能力の授業を通じて山田は、「学生たちは能力がないわけではない。しかし、きちんと教わるべきことを教わらずにきてしまったのではないか。その証拠に手順を踏んで教えてゆけば授業についてくるし、驚くほど学力が伸びる」と言う。
永山高校・上野校長の指摘するように、時間をかけた知識や経験の熟成に「ゆとり」を生かせず、授業時間が減った分むしろ学ぶ機会を逃して来てしまった「ゆとり世代」の学生が、残念ながら今や少なくない。そんな「ゆるみ」の犠牲者である学生を、仲間内の短文メールのやりとりに終始する段階から卒業させ、他者とのコミュニケーションをきちんと取れる人間にまで育てあげるーー促成が望めず、丁寧に時間をかけてこなすしかないこうした教育活動に、恵泉女学園大学もまた関わろうとしている。
文責:日本語日本文化学科 教授 武田 徹